前700-前601

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        日本書紀      古事記
前700    神武・12歳
前699    神武・13歳
前698    神武・14歳
前697    神武・15歳
前696    神武・16歳
前695    神武・17歳
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前679    神武・33歳
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前675    神武・37歳
前674    神武・38歳
前673    神武・39歳
前672    神武・40歳
前671    神武・41歳
前670    神武・42歳
前669 辛未 神武・43歳
前668    神武・44歳
前667 甲寅 神武・45歳
前666 乙卯 神武・46歳
前665    神武・47歳
前664 丁丑 神武・48歳
前663 戊午 神武・49歳
前662 己未 神武・50歳
前661 庚申 神武・51歳
前660 辛酉 神武元年・52歳
前659 壬戌 神武2年・53歳
前658 癸亥 神武3年・54歳
前657 甲子 神武4年・55歳
前656 乙丑 神武5年・56歳
前655 丙寅 神武6年・57歳
前654 丁卯 神武7年・58歳
前653 戊辰 神武8年・59歳
前652 己巳 神武9年・60歳
前651 庚午 神武10年・61歳
前650 辛未 神武11年・62歳
前649 壬申 神武12年・63歳
前648 癸酉 神武13年・64歳
前647 甲戌 神武14年・65歳
前646 乙亥 神武15年・66歳
前645 丙子 神武16年・67歳
前644 丁丑 神武17年・68歳
前643 戊寅 神武18年・69歳
前642 己卯 神武19年・70歳
前641 庚辰 神武20年・71歳
前640 辛巳 神武21年・72歳
前639 壬午 神武22年・73歳
前638 癸未 神武23年・74歳
前637 甲申 神武24年・75歳
前636 乙酉 神武25年・76歳
前635 丙戌 神武26年・77歳
前634 丁亥 神武27年・78歳
前633 戊子 神武28年・79歳
前632 己丑 神武29年・80歳
前631 庚寅 神武30年・81歳
前630 辛卯 神武31年・82歳
前629 壬辰 神武32年・83歳
前628 癸巳 神武33年・84歳
前627 甲午 神武34年・85歳
前626 乙未 神武35年・86歳
前625 丙申 神武36年・87歳
前624 丁酉 神武37年・88歳
前623 戊戌 神武38年・89歳
前622 己亥 神武39年・90歳
前621 庚子 神武40年・91歳
前620 辛丑 神武41年・92歳
前619 壬寅 神武42年・93歳
前618 癸卯 神武43年・94歳
前617 甲辰 神武44年・95歳
前616 乙巳 神武45年・96歳
前615 丙午 神武46年・97歳
前614 丁未 神武47年・98歳
前613 戊申 神武48年・99歳
前612 己酉 神武49年・100歳
前611 庚戌 神武50年・101歳
前610 辛亥 神武51年・102歳
前609 壬子 神武52年・103歳
前608 癸丑 神武53年・104歳
前607 甲寅 神武54年・105歳
前606 乙卯 神武55年・106歳
前605 丙辰 神武56年・107歳
前604 丁巳 神武57年・108歳
前603 戊午 神武58年・109歳
前602 己未 神武59年・110歳
前601 庚申 神武60年・111歳
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メディア デイオケス 初代王 前700―前647
メディア王朝 前700―550

アルゲアス朝(ギリシャ語:Ἀργεάδαι、ラテン文字転記:Argeadai)は、古代ギリシアの王朝。紀元前約700年から同310年まで、マケドニアを統治した。古代ギリシアの神話的な記述によると、この王朝の起源は南ギリシャの都市アルゴスに遡る(アルゲアスの名はこれによる)。当初は、アルゲアス族の支配者であったが、ピリッポス2世の時代までにその支配を更に拡大し、上マケドニアの全ての国をマケドニア支配下に納めた。この王家のもっとも著名な人物はピリッポス2世とアレクサンドロス3世(大王)であり、彼らの指導のもとで、マケドニア王国は全ギリシャに対する優越的な地位を確保し、アケメネス朝を打ち倒し、エジプトとインドにまで拡大した。しかし、大王の死後、王位継承者として残されたのは知的障害者であったピリッポス3世と嬰児アレクサンドロス4世であり、彼らは名ばかりの王であった。このため、後継将軍(ディアドコイ)および残された王族たちは互いに勢力争いを始め、その過程で後継将軍の一人で大王の異母姉妹テッサロニケと結婚したカッサンドロスによる簒奪を受け、アルゲアス王家は断絶した。
アルゲアス家は、ペロポネソスにあるアルゴスのテメネス家に連なる家系であることを主張し、その伝説上の初代はヘーラクレースの玄孫(孫の孫)であるテメネスである。アイガイでの王宮の発掘で、マノリス・アンドロニコスは、ドーム状の部屋(これを玉座の間であるとする学者もいる。)の中でこの伝承と関連した碑文を発見している。これは、ヘロドトスの『歴史』の記述とも一致しており、ヘロドトスによると、テメネスの一族であるガウアネス、アエロポス、ペルディッカスの三兄弟はアエルゴからイリュリア、更に上マケドニアのレバイアという町に逃れ、そこで王に仕えた。王は、ペルディッカスに何かすごいことが起こるという前兆を信じて、彼らに王の領地から去るように求めた。三兄弟は、マケドニア内の別の地でベルミオ山の麓のミダスの園の近くに移った。彼らはそこを拠点として、次第にその王国を形成した[1]。 また、ヘロドトスは、ギリシア人から異民族扱いされていたマケドニア王が参加することは、ギリシア人ではないとの理由で関係者から異議を唱えられていたオリンピックについて、マケドニアアレクサンドロス1世が紀元前504年か500年の競技に参加したという出来事についても述べている。ヘラノディカイは、彼のアルゴス出身との主張を調査した後、マケドニア人は実はギリシア人であると承認し、彼の参加を認めた。 トゥキディデスの『ペロポネソス戦争史』によると、アルゲアス家はもともとはアルゴス出身のテメネス家であり、高地から下マケドニアに下り、ピエリアからピエリア人を追い出し、パイオニアではペラと海へと達するアクシオス川沿いの細長い土地を手に入れた。彼らはまた、エドノイ族を追放することでミグドニアを、エオルダイア人とアルモピア人を追い出すことでエオルダイアとアルモピアをそれぞれ領地に追加した。
カラノス (紀元前808–紀元前778)
コイノス (紀元前778–紀元前750)
トゥリマス (紀元前750–紀元前700)
ペルディッカス (紀元前700–紀元前678)
アルガイオス1世 (紀元前678–紀元前640)
ピリッポス1世 (紀元前640–紀元前602)
アエロポス1世 (紀元前602–紀元前576)
アルケタス1世 (紀元前576–紀元前547)
アミュンタス1世 (紀元前547–紀元前498)
アレクサンドロス1世 (紀元前498–紀元前454)
ペルディッカス2世 (紀元前454–紀元前413)
アルケラオス (紀元前413–紀元前399)
オレステスとアエロポス2世 (紀元前399–紀元前396)
アルケラオス2世 (紀元前396–紀元前393)
アミュンタス2世 (紀元前393)
パウサニアス (紀元前393)
アミュンタス3世 (紀元前393)
アルガイオス2世 (紀元前393–紀元前392)
アミュンタス3世(復位) (紀元前392–紀元前370)
アレクサンドロス2世 (紀元前370–紀元前368)
アロロスのプトレマイオス摂政)(紀元前368–紀元前365)
ペルディッカス3世 (紀元前365–紀元前359)
アミュンタス4世 (紀元前359–紀元前356)
ピリッポス2世 (紀元前359–紀元前336)
アレクサンドロス3世(大王) (紀元前336–紀元前323)
アンティパトロス(マケドニア摂政) (紀元前334–紀元前323)
ピリッポス3世アリダイオス (紀元前323–紀元前317)名ばかりの王
アレクサンドロス4世 (紀元前323–紀元前310)名ばかりの王
ペルディッカス(マケドニア摂政) (紀元前323–紀元前321)
アンティパトロス(マケドニア摂政) (紀元前321–紀元前319)
ポリュペルコン(マケドニア摂政) (紀元前319–紀元前317)
カッサンドロス(マケドニア摂政) (紀元前317–紀元前306)