天の石屋戸こもり

古事記 上巻 
天照大神須佐之男
〔四〕天の石屋戸こもり
この有様を見て数多の神々は天の安河の河原にお集まりになって、高御産巣日神の子の思金神に以下のような善後策を考えさせた。まず常世国の長鳴鳥を集めて鳴かせて、次に天の安河の川上にある堅い石を取り、鉱山の鉄を取ってきて、鍛冶の天津麻羅を捜し出し、伊斯許理度売命に仰せつけて、この二人に鏡を作らせた。次に玉祖命に仰せつけて、多くの勾玉を長い緒に貫き通した玉飾りを作らせた。次には天児屋命と布刀玉命をお呼びになって、天の香具山の朱桜〔木の名〕を取って、それで鹿の肩の骨を焼いて占わせ、それによって次のような祭式の次第を準備させた。まず天の香具山のよく茂った榊を根こそぎ掘り取ってきて、その上方の枝に多くの勾玉を長い緒に通した玉飾りをつけ、中ほどの枝に八咫鏡を掛け、下方の枝には楮の白い幣と麻の青い幣をさげた。
こう申し上げている間に、天児屋命と布刀玉命が榊につけた八咫鏡を差し出して、天照大御神にお見せ申し上げると、天照大御神はいよいよ不思議にお思いになって、少しずつ戸から身をのり出して鏡に映ったお姿をのぞき見なさるその時、脇に隠れ立っていた天手力男神がそのお手を取って外へ引き出し申し上げた。
〔五〕須佐之男命の追放と五穀の起源

 

日本書紀 巻第一 神代 上
素戔嗚尊の誓約
天の岩屋
 この後に、素戔嗚尊の仕業は、とてもいいようもない程であった。何のなれば、天照大神は天狭田・長田を神田としておられたが、素戔嗚尊は、春は種を重ね播きし、あるいは田の畔をこわしたりなどした。秋はまだら毛の馬を放して、田の中を荒らした。また天照大神が新嘗の祭(新穀を神にお供えする祭事)を行っておられるときに、こっそりとその部屋に糞をした。また天照大神が神衣を織るため、神聖な機殿においでになるのを見て、まだら毛の馬の皮を剝いで、御殿の屋根に穴をあけて投げ入れた。
また手力男神を岩戸のわきに立たせ、中臣連の遠い祖先の天児屋命、忌部の遠い祖先の太玉命は、天香山の沢山の榊を掘り、上の枝には八坂瓊の五百箇の御統をかけ、中の枝には八咫鏡(大きな鏡の意)をかけ、下の枝には青や白の麻のぬさをかけて、皆でご祈禱をした。
 
 一書(第一)にいう。
そのとき高皇産霊尊の子で、思兼神というのがあり、思慮にすぐれていた。
 一書(第二)にいう。
もろもろの神たちはこれを憂えて、鏡作部の遠い先祖の、天糖戸神に鏡を作らせた。忌部の遠い先祖の、太玉神にぬさを作らせた。玉造部の遠い祖先の、豊玉姫に玉を作らせた。また山神に、沢山の玉を飾った榊を用意させ、野神には、沢山の玉を飾った小竹を用意させた。
 一書(第三)にいう。
そこで天児屋命は、天の香山の榊を掘りとって、上の枝には鏡作りの遠い先祖の、天抜戸の子、石凝戸辺命が作った八咫鏡をかけ、中の枝には玉造りの遠い祖先の、伊弉諾尊の子、天明玉命が作った、八坂瓊の曲玉をかけ、下の枝には阿波の国の忌部の遠い先祖の、天日鷲が作った木綿をかけて、忌部首の遠い先祖の、太玉命に持たせて、広く厚く徳をたたえる詞を申し上げてお祈りさせた。