バビロン捕囚

バビロン捕囚は、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国ユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され移住させられた事件を指す。バビロン幽囚、バビロンの幽囚ともいう。
紀元前597年、ネブカドネザル王はエルサレム市街に入城し(Siege of Jerusalem (597 BC))、住民のうちもっとも有力な若い者をユダヤ人の王エホヤキムとともに殺害し、約3,000人(『エレミヤ書』によると3,023人)の有力者を捕虜としてバビロンに拉致した。
エホヤキムの息子のエホヤキンが王国を嗣いだが、ネブカドネザル王は謀反を恐れ、エホヤキンや王族をはじめとしてエルサレム市内の若者や職人たちのすべてをバビロンに連行させた。その数は10,832人に達したという。エホヤキン王の叔父ゼデキヤが王位を継承したが、紀元前586年7月11日(ユダヤ暦3175年アヴ9日)、エルサレムは破壊され、ゼデキヤ王以下ユダヤ人たちはバビロンへ連行された。