呉 紀元前585年 - 紀元前473年

1.太伯
2.虞仲
3.季簡
4.叔達
5.周章
6.熊遂
7.柯相
8.彊鳩夷
9.余橋疑吾
10.柯盧
11.周繇
12.屈羽
13.夷吾
14.禽処
15.転
16.頗高
17.句卑
18.去斉

呉王
1.寿夢(紀元前585年 - 紀元前561年)
2.諸樊(紀元前560年 - 紀元前548年)
3.余祭(紀元前547年 - 紀元前544年)
4.余昧(紀元前530年 - 紀元前527年) 
5.僚(紀元前526年 - 紀元前516年)
6.闔閭(紀元前515年 - 紀元前496年)
7.夫差(紀元前495年 - 紀元前473年)


ヘロドトス 歴史 巻一 クレイオの巻

 序 本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人や異邦人の果した偉大な驚嘆すべき事蹟の数々――とりわけて両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べたものである。

 一二 それからカンダウレスが横になると、ギュゲスは抜け出して王を殺し、妃と王国とを二つながらわがものとしたのだが、このギュゲスの話は、同じ頃の人であるパロスの詩人アルキロコスも、そのイアンボス六脚詩に歌っている。

 七四 その後、キュアクサレスがそれらのスキュティア人の引き渡しを要求したのに、アリュアッテスが応じなかったので、リュディアとメディアの間に戦争が起り五年に及んだが、この間勝敗はしばしば処をかえた。ある時などは一種の夜戦を戦ったこともあった。戦争は互角に進んで六年目に入った時のことである。ある合戦の折、戦いさなかに突然真昼から夜になってしまったのである。この時の日の転換は、ミレトスのタレスが、現にその転換の起った年まで正確に挙げてイオニアの人々に予言していたことであった。

 九五 ともかくメディア人は自由のためにアッシリア人と勇敢に戦い、遂にアッシリアの桎梏をはねのけて、自由を獲得したのであった。

 一〇五 スキュティア人はそれからエジプトを目指して進んだ。彼らがパレスティナ・シリアまできたとき、エジプト王プサンメティコスが出向いていって、贈物と泣き落し戦術で、それより先へ進むことを思いとどまらせたのである。

 一三〇 こうしてアステュアゲスは在位三十五年で王位を失い、メディアはアステュアゲスの過酷さが災いをなしてペルシアに屈服することになったが、ハリュス河より上(東方)のアジア一帯のメディアによる支配は、スキュティア人の支配期間をも含めて、百二十八年に及んだ。もっとも後になってメディア人は以前の行動を悔い、ダレイオスから離反したが、戦いに敗れ再び屈服させられてしまった。

 一八五 セミラミスにつづいて第二の女王になった女性はその名をニトクリスといい、先の女王よりも聡明であった。


メディア アステュアゲス 前585―前550