プトレマイオス9世ソテル2世(在位紀元前88年-紀元前81年)

プトレマイオス9世ソテル2世またはラテュロス(希:Πτολεμαίος Θ' Σωτήρ Β' Λάθυρος、英:Ptolemy IX Soter II or Lathyros、?−紀元前81年)は、古代エジプトプトレマイオス朝のファラオ(在位紀元前116年-紀元前110年、紀元前109年-紀元前107年、紀元前88年-紀元前81年)。父はプトレマイオス8世フュスコン、母はクレオパトラ3世。弟プトレマイオス10世アレクサンドロスと王位を争った。姉妹クレオパトラ4世、クレオパトラ5世セレネと結婚している。ラテュロス(ソラマメ)とあだ名される。

紀元前116年、クレオパトラ3世は、夫フュスコンの死後、共同統治者としてプトレマイオス10世(以下アレクサンドロス)を指名しようとしたが、アレクサンドリア市民が年長の子プトレマイオス9世(以下ラテュロス)の擁立を要求したため、仕方なくラテュロスをファラオとした。しかし、母クレオパトラ3世は独裁的に振る舞い、ラテュロスの妻クレオパトラ4世を追放(紀元前115年)するなど、ラテュロスとの対立を深めた(ラテュロスクレオパトラ5世セレネと再婚)。

紀元前110年、ラテュロスクレオパトラ暗殺を謀っているとしてラテュロス廃位され、アレクサンドロスが擁立された。翌年にはアレクサンドロスも母と対立して廃位され、再びラテュロスが復位した。紀元前107年、再び母に廃されると、ラテュロスキプロスより母に反撃しシリア方面に進出したため、、母はシリア王アンティオコス8世グリュポスと同盟した(ラテュロスは妻セレネと離婚させられ、セレネはグリュポスの妻となった、紀元前103年)。紀元前101年、弟アレクサンドロスは母クレオパトラ3世を暗殺し、ラテュロスと和解。ラテュロスの娘ベレニケ3世がアレクサンドロスと結婚し、自身はキプロスに留まった。

紀元前88年、弟が死亡するとエジプト王に復帰し、テーベでの原住民の反乱を鎮圧。外交面ではセレウコス朝の内紛に介入して派兵し、ローマの介入を避けるように努めた。その死後、ベレニケ3世が単独統治者となった。