ペルシア戦争 紀元前499年〜紀元前449年

ペルシア戦争ギリシア語: Περσικοί Πόλεμοι)は、紀元前499年から紀元前449年の三度にわたるアケメネス朝ペルシア帝国のギリシア遠征をいう。ペルシャ戦争とも呼ぶ。「ペルシア戦争」とは、ギリシア側からの呼称である。学者によっては勝者の名を冠してギリシア戦争、ギリシャ戦争、あるいはフェアに両陣営の名をとってギリシアペルシア戦争(Greco–Persian Wars)、ギリシャペルシャ戦争と呼ばれることもある。
戦争の経緯についてはヘロドトスの『歴史』がほぼ唯一の資料である。プルタルコスは『ヘロドトスの悪意』について、戦争の歴史的事実がヘロドトス個人の戦争観に歪められていると批判している。


イオニアの反乱
紀元前499年に起こったイオニアの反乱に際しては、同じ民主制を採用したということもあって反乱軍を支援し、ペルシアを牽制した。
しかし、イオニアの反乱は失敗し、介入はペルシアにギリシア侵攻の恰好の口実を与えることになった。イオニア反乱軍への援助決定の後、しばらくの間はクレイステネスを代表とする対ペルシア宥和派と、ミルティアデスら独立派による激しい議論が起きていたと考えられるが、反乱鎮圧後は、徐々に対ペルシア強硬派が台頭していった。
ペルシアへの対応と権力闘争が絡み合い、アテナイ民会が混乱する中、イオニアを平定したダレイオス1世はギリシア遠征軍派遣を決定し、ペルシア戦争と呼ばれる一連の戦争が開始された。