史記 始皇本紀第六

史記 始皇本紀第六

 五年、将軍傲が魏を攻め、酸棘(河南・陳留)・燕・虚(地名、不詳)・長平・擁丘(山西・陳留付近か)・山陽城(河南・修武)を平定して、みなこれをおとしいれ、二十ヵ城を取って、初めて東郡を置いた。この冬、大雷があった。六年、韓・魏・趙・衛・楚の諸国が合同して秦を撃ち、寿陵を取った。秦が出兵すると、五国の兵がしりぞいた。秦軍は衛軍を伐って東郡に迫ると、衛の君角は一族を率いて野王(河南・沁陽)にうつり、山を隔てて河内を保有した。七年、彗星がまず東方に出て、ついで北方に現われ、五月西方に現われた。将軍傲が竜・狐・慶都(これらの地名はいずれも不明だが河北・定付近か)を攻めて死んだ。兵を引き返して汲(河南・汲)を攻めた。彗星がまた西方に現われた。この月十六日、夏太后荘襄王の生母)が薨じた。


論衡 実知篇 ―超経験知と経験知について―

 秦の始皇の七年(西紀前二四〇)に、荘襄王(始皇の父)の生母である夏太后がなくなった。