史記 始皇本紀第六

史記 始皇本紀第六

 三十七年十月癸丑の日、始皇が出遊した。

 会稽から還って呉を過ぎ、江乗(江蘇・句容)から揚子江を渡り、海岸に沿うて北方狼邪に行った。方士の徐市らは、海上に神薬を求めて、数年になるが得られず、費えが多いだけだったので、罰せられるのを恐れ、いつわって、「蓬莱では神薬を得られるのですが、いつも大鮫に苦しめられて、島に行くことができません。上手な射手をつけていただけば、現われたら連発の強弓で射ていただきとうぞんじます」と言った。


論衡 実知篇 ―超経験知と経験知について―

 始皇は、その三十七年(西紀前二一〇年)十月癸丑の日に巡遊に出発し、雲夢(湖北省の大きな沢)へ行き、九疑(湖南省の山。舜が葬られている)を望んで舜帝をまつり、揚子江を舟で下り、籍珂を見物し、梅渚(安徽省)に渡り、丹陽(江蘇省)を過ぎ、銭唐(折江省)に至り、折江に臨んだが、波が荒かったので西へ百二十里いって狭中(折江省)から渡り、会稽山(折江省の山。兎の廟がある)に上って兎王をまつり、石碑を立てて賛を刻み、南海の方にむけた。