任那・新羅抗争のはじまり

日本書紀 巻第六

  垂仁天皇 活目入彦五十狭茅天皇

任那新羅抗争のはじまり

 三年春三月、新羅の王の子、天日槍がきた。持ってきたのは、羽太の玉一つ・足高の玉一つ・鵜鹿鹿の赤石の玉一つ(赤く輝く石の玉の意か)・出石の桙一つ(出石は但馬の国)・日鏡一つ・熊の神籬一具、合せて七点あった。それを但馬国におさめて神宝とした。

 ――一説には、初め天日槍は、船に乗って播磨国にきて宍粟邑にいた。

天日槍は但馬国の出石の人、太耳の娘麻多烏をめとって、但馬諸助を生んだ。諸助は但馬日楢杵を生んだ。日楢杵は清彦を生んだ。清彦は田道間守を生んだという。


古代ローマ帝国 ユリウス・クラウディウス

アウグストゥス(紀元前27年 - 紀元14年) - 初代ローマ皇帝
ティベリウス(14年 - 37年)
カリグラ(37年 - 41年)
クラウディウス(41年 - 54年)
ネロ(54年 - 68年)