139-10-01 漢書 武帝紀第六 漢書 武帝紀第六 二年の冬十月、御史大夫趙綰は、明堂・辟雍設立のことを黄老の術を好む太皇太后に秘して奏上しないよう請うた罪に坐し、郎中令王臧とともにみな獄につながれて自殺し、丞相竇嬰・太尉田蚡は罷免された。 春二月丙戌、日蝕があった。