第2代 綏靖天皇 在位前581年1月8日〜前549年5月10日

日本書紀 巻第四

   綏靖天皇 神渟名川耳天皇

 元年の春一月八日に、神渟名川耳尊は即位された。葛城に都を造られた。これを高丘宮という。先の皇后を尊んで皇太后といった。この年、太歳庚辰。


古事記 中の卷
二、綏靖天皇以後八代
綏靖天皇
――以下八代は、帝紀の部分だけで、本辭を含んでいない。この項など、帝紀の典型的な例と見られる。――
 カムヌナカハミミの命(綏靖天皇)、大和の國の葛城の高岡の宮においでになつて天下をお治め遊ばされました。この天皇、シキの縣主の祖先のカハマタ姫と結婚してお生みになつた御子はシキツ彦タマデミの命お一方です。天皇は御年四十五歳、御陵は衝田の岡にあります。


綏靖天皇神武天皇29年(紀元前632年?)- 綏靖天皇33年5月10日(紀元前549年6月28日?))は、日本の第2代天皇(在位:綏靖天皇元年1月8日(紀元前581年2月23日?) - 同33年5月10日(紀元前549年6月28日?))。『日本書紀』では神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと), 『古事記』では神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)ともいう。綏靖天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされ、「綏」も「靖」も「やすらか」の意であり「綏靖」で「安らかに落ち着く」の意がある。
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある(欠史八代の実在説を参照)。