アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)

ヘロドトス 歴史 巻一 クレイオの巻
 八二 使者はそれぞれの同盟国へ送られたが、中でもスパルタには重点がおかれていた。ところがちょうどこの頃たまたまスパルタ自体が、テュレアという地区をめぐって、アルゴスとの係争にまきこまれていたのである。


キュロス2世(紀元前600年頃 - 紀元前529年)は、アケメネス朝ペルシアの初代国王(諸王の王:紀元前550年 - 紀元前529年)。 キュロスは古代エジプトを除く全ての古代オリエント諸国を統一して空前の大帝国を建設した。現代のイラン人は、キュロスをイランの建国者と称えている。

メディア キュロス 前550―前530


アケメネス朝(紀元前550年 - 紀元前330年)は、古代イランにおこったとされる王朝・帝国。
紀元前7世紀後半、ペルシア人の長でハカーマニシュの息子テイスペス(チャイシュピ)は、アッシリアに圧倒され衰退しつつあったエラム王国の都市アンシャンを征服した。テイスペスの子孫はアンシャンを支配した一族とペルシアに残った一族の二つの系統に分岐した。アッシリアの衰退と共にメディア王アステュアゲス(アルシュティ・ワイガ?)は、バビロニアを除くアッシリア北部の領土をすべて征服した。この時代のペルシアはメディアに服属していた。
紀元前550年、アステュアゲスの孫(アステュアゲスの娘マンダネの子)で、メディア人とペルシア人の混血であるアンシャン王キュロス2世(クル)は反乱を起こし、メディアの将軍ハルパゴスの助けを得てメディアを滅ぼした。イラン高原を掌握したキュロスは、さらに小アジアのリュディア王国、エラムメソポタミア新バビロニア王国を滅ぼした。ヘロドトスの『歴史』によれば、キュロスはカスピ海の東側に住むマッサゲタイ族との戦いで戦死したとされる。しかし後年マケドニアアレクサンドロス3世のペルシア遠征の時、キュロスがパサルガダエに埋葬されているのが確認され、その記録には遺体の外傷について一切触れられていないことから、ヘロドトスの記事は間違いである可能性もある。
紀元前525年にキュロスの息子カンビュセス2世(カンブジャ)はエジプト(エジプト第26王朝)を併合して古代オリエント世界を統一したものの、エチオピアへの侵略には失敗した。カンビュセスは弟のスメルディスを殺した。カンビュセスの死後の2年間はメディア人のマゴス、ガウマータが実権を握ったが、ダレイオスをはじめとするペルシア人貴族たちの謀議によって打倒された。
ヘロドトスの伝えるところによると、ペルシア人の指導者たちは帝国の統治形態について話し合った。寡頭政治は国を分裂させる危険を、民主政は大衆の人気に乗じた僭主の台頭を招きかねないことから、しかるべき手順で選ばれた君主による君主政を選択した。最初に選ばれた君主となった総督ヒュスタスペス(ウィシュタースパ)の息子ダレイオス1世(ダーラヤワウ)は版図を北西インドからマケドニアトラキアに拡大し、領土を20州に分けて各州にサトラップ(総督、太守)を置いた。なお、このスメルディス(カンビュセスの弟本人ではなく、その偽者ガウマータ)の暗殺に始まる政変はダレイオスによる簒位の後に捏造された偽伝ではないかと疑う説もある。
ダレイオス1世とその子クセルクセス1世(クシャヤールシャン)はギリシア征服を計画してペルシア戦争(前492年-前449年)を起こしたが、失敗した。紀元前490年にダレイオスが派遣した軍はマラトンの戦いでアテナイ・プラタイア連合軍に敗れ、紀元前480年のクセルクセス自らが乗り出した遠征はサラミスの海戦、プラタイアの戦いなどでの敗北を受け、失敗した。その後紀元前5世紀中頃までペルシアはギリシア人の反撃に苦しんだが、クセルクセスの次の王アルタクセルクセス1世は紀元前449年のカリアスの和約で講和した。
ギリシア人が羨んだ莫大な富、ダレイオスによる新都ペルセポリスでの大殿造営など、ペルシアは繁栄を謳歌し、ペロポネソス戦争(前431年-前404年)後、ペルシアはその富を用いてギリシア世界に干渉し、ギリシア人同士の戦いを煽ってその共倒れを狙うという対ギリシア政策を取った(前395年から前387年のコリントス戦争がその典型である)。 その一方で、内政面では紀元前4世紀にあい続いた小アジアのサトラップの反乱(前372年-前362年)に悩まされていた。
前404年、ダレイオス2世の死後、アルタクセルクセス2世と小キュロスの間で、皇位継承争いが起こった。ペロポネソス戦争の退役ギリシャ軍人を傭兵とした小キュロス軍が敗北して、アルタクセルクセス2世が王位に就いた。クセノポンは、ギリシャ敗残兵一万人の脱出紀行を『アナバシス』に残している。
宦官で大臣のバゴアスによりアルタクセルクセス3世とアルセスが相次いで暗殺され、傍系のダレイオス3世が擁立された。ダレイオス3世の代にアレクサンドロス大王とのガウガメラの戦いに破れて紀元前330年に滅んだ。ただし、アレクサンドロスはダレイオス3世の息女(スタテイラ、パリュサティス)と結婚し、アケメネス朝の統治制度をほぼそのまま継承しようと試みていた。なお、アレクサンドロスもそうだったが、アケメネス朝の君主たちも古代エジプトを征服した後にファラオを任じていた。

アンシャン王朝
アケメネス(ハカーマニシュ)
テイスペス
キュロス1世
リアラムネス(共治)
カンビュセス1世
アルサメス(共治)

キュロスの王朝
キュロス2世(紀元前550年-紀元前529年)      http://d.hatena.ne.jp/MYTH/05500101
カンビュセス2世(紀元前529年-紀元前521年)    http://d.hatena.ne.jp/MYTH/05290101
スメルディス(紀元前521年)            http://d.hatena.ne.jp/MYTH/05210101

ダレイオスの王朝
ダレイオス1世(紀元前521年-紀元前486年)     http://d.hatena.ne.jp/MYTH/05210101
クセルクセス1世(紀元前486年-紀元前465年)    http://d.hatena.ne.jp/MYTH/04860101
アルタクセルクセス1世(紀元前464年-紀元前424年) http://d.hatena.ne.jp/MYTH/04640101
クセルクセス2世(紀元前424年-紀元前423年)    http://d.hatena.ne.jp/MYTH/04240101
ソグディアノス(紀元前423年)           http://d.hatena.ne.jp/MYTH/04230101
ダレイオス2世(紀元前422年-紀元前404年)     http://d.hatena.ne.jp/MYTH/04220101
アルタクセルクセス2世(紀元前404年-紀元前343年) http://d.hatena.ne.jp/MYTH/04040101
アルタクセルクセス3世(紀元前343年-紀元前338年) http://d.hatena.ne.jp/MYTH/03430101
アルセス(紀元前338年-紀元前336年)        http://d.hatena.ne.jp/MYTH/03380101
ダレイオス3世(紀元前336年-紀元前330年)     http://d.hatena.ne.jp/MYTH/03360101