第3代 安寧天皇 在位前549年7月15日〜前511年12月6日

古事記 中の卷
安寧天皇
 シキツ彦タマデミの命(安寧天皇)、大和の片鹽の浮穴の宮においでになつて天下をお治めなさいました。この天皇はカハマタ姫の兄の縣主ハエの女のアクト姫と結婚してお生みになつた御子は、トコネツ彦イロネの命・オホヤマト彦スキトモの命・シキツ彦の命のお三方です。この天皇の御子たち合わせてお三方の中、オホヤマト彦スキトモの命は、天下をお治めになりました。次にシキツ彦の命の御子がお二方あつて、お一方の子孫は、伊賀の須知の稻置・那婆理の稻置・三野の稻置の祖先です。お一方の御子ワチツミの命は淡路の御井の宮においでになり、姫宮がお二方おありになりました。その姉君はハヘイロネ、またの名はオホヤマトクニアレ姫の命、妹君はハヘイロドです。この天皇の御年四十九歳、御陵は畝傍山のミホトにあります。


安寧天皇綏靖天皇5年(紀元前577年)- 安寧天皇38年12月6日(紀元前510年1月17日))は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる第3代天皇(在位:綏靖天皇33年7月15日(紀元前549年8月31日) - 安寧天皇38年12月6日(紀元前510年1月17日))。磯城津彦玉手看尊・師木津日子玉手見命(『古事記』)。
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。