第4代 懿徳天皇 在位前510年2月4日〜前477年9月8日

古事記 中の卷
懿徳天皇
 オホヤマト彦スキトモの命(懿徳天皇)、大和の輕かるの境岡の宮においでになつて天下をお治めなさいました。この天皇はシキの縣主の祖先フトマワカ姫の命、またの名はイヒヒ姫の命と結婚してお生みになつた御子は、ミマツ彦カヱシネの命とタギシ彦の命とお二方です。このミマツ彦カヱシネの命は天下をお治めなさいました。次にタギシ彦の命は、血沼の別・多遲麻の竹の別・葦井の稻置の祖先です。天皇は御年四十五歳、御陵は畝傍山のマナゴ谷の上にあります。


懿徳天皇綏靖天皇29年(紀元前553年)- 懿徳天皇34年9月8日(紀元前477年10月6日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第4代天皇(在位:懿徳天皇元年2月4日(紀元前510年3月15日) - 同34年9月8日(紀元前477年10月6日))。大日本彦耜友尊・大倭日子鉏友命(『古事記』)。
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。