第5代 孝昭天皇  前475年1月9日〜前393年8月5日

古事記 中の卷
孝昭天皇
 ミマツ彦カヱシネの命(孝昭天皇)、大和の葛城の掖上の宮においでになつて天下をお治めなさいました。この天皇尾張の連の祖先のオキツヨソの妹ヨソタホ姫の命と結婚してお生みになつた御子はアメオシタラシ彦の命とオホヤマトタラシ彦クニオシビトの命とお二方です。このオホヤマトタラシ彦クニオシビトの命は天下をお治めなさいました。兄のアメオシタラシ彦の命は・[#「・」はママ]春日の臣・大宅おおやけの臣・粟田の臣・小野の臣・柿本の臣・壹比韋の臣・大坂の臣・阿那の臣・多紀の臣・羽栗の臣・知多の臣・牟耶の臣・都怒山の臣・伊勢の飯高の君・壹師の君・近つ淡海の國の造の祖先です。天皇は御年九十三歳、御陵は掖上の博多山の上にあります。


孝昭天皇懿徳天皇5年(紀元前506年)- 孝昭天皇83年8月5日(紀元前393年9月5日))は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる第5代天皇(在位:孝昭天皇元年1月9日(紀元前475年2月21日) - 同83年8月5日(紀元前393年9月5日))。和風諡号は観松彦香殖稲尊・御真津日子訶恵志泥命(『古事記』)。
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。