始皇帝 天下統一

廿六年 皇帝盡并兼天下 諸侯黔首大安 立號為皇帝 乃詔丞相狀綰 法度量則 不壹嫌疑者 皆明壹之
始皇26年、始皇帝は天下を統一し、諸侯から民衆までに平安をもたらしたため、号を立て皇帝となった。そして丞相の状(隗状)と綰(王綰)に度量衡の法を決めさせ、嫌疑が残らないよう統一させた。
― 青銅詔版



非子 前900-前858
秦侯 前857-前848
公伯 前847-前845
秦仲 前844-前822
荘公 前821-前778

襄公 前777-前766
文公 前765-前716
寧公 前715-前704
出子 前703-前698
武公 前697-前678
徳公 前677-前676
宣公 前675-前674
成公 前663-前660
穆公 前659-前621
康公 前620-前609
共公 前608-前604
桓公 前603-前577
景公 前576-前537
哀公 前536-前501
恵公 前500-前491
悼公 前490-前477
窅共公 前476-前443
躁公 前442-前429
懐公 前428-前425
霊公 前424-前415
簡公 前414-前400
恵公 前399-前387
出公 前386-前385
献公 前384-前362
孝公 前361-前338

恵文王 前338-前311
武王 前311-前307
昭襄王 前306-前251
孝文王 前250
荘襄王 前249-前247
政 前246-前221
皇帝
始皇帝 前221-前210
二世皇帝 前209-前207

子嬰 前207


プトレマイオス4世フィロパトル(希:Πτολεμαίος Δ' Φιλοπάτωρ、英:Ptolemy IV Philopator、?−紀元前205年?)は、古代エジプトプトレマイオス朝のファラオ(在位紀元前221年-紀元前205年)。プトレマイオス3世、ベレニケ2世の子。フィロパトル(愛父王)と称される。姉妹アルシノエ3世と結婚。

プトレマイオス3世の下でプトレマイオス朝は最盛期を迎えたが、プトレマイオス4世の頃より国力は衰え始める。彼は大酒飲みで放蕩生活を送ったと言われ、宮廷の腐敗が強まった。即位後、奸臣ソシビオス、アガトクレスの讒言に基づき母ベレニケ2世や弟マグスを殺害した。アガトクレスの妹アガトクレアを愛人とし、廷臣たちの影響力が増大していく。

紀元前219年よりセレウコス朝シリアのアンティオコス3世(大王)との第四次シリア戦争(紀元前219年-紀元前217年)が始まり、コイレ・シリア周辺を巡り激戦が展開された。最終的に、ラフィアの戦いにおいて、エジプト原住民を主力に取り込んだエジプト軍が勝利し、コイレ・シリア周辺の確保に成功した。ラフィアの戦いにおいて原住民が勝利に貢献した事で、支配層(マケドニア人、ギリシャ人)は原住民の重要性を認識し、以降のプトレマイオス朝は彼らへの配慮を強めざるを得なくなる。

紀元前205年頃急死し(ソシビオスらによる暗殺説もある)、王妃アルシノエ3世も殺害され、幼い子プトレマイオス5世が即位した。