匈奴

紀元前215年、秦の始皇帝は将軍の蒙恬匈奴を討伐させ、河南の地(オルドス地方)を占領して匈奴を駆逐するとともに、長城を修築して北方騎馬民族の侵入を防いだ。単于の頭曼は始皇帝および蒙恬の存命中に中国へ侵入できなかったものの、彼らの死(前210年)によってふたたび黄河を越えて河南の地を取り戻すことができた。ある時、単于頭曼は太子である冒頓を人質として西の大国である月氏へ送ってやった。しかし、単于頭曼は冒頓がいるにもかかわらず月氏を攻撃し、冒頓を殺そうとした。冒頓は命からがら月氏から脱出して本国へ帰国すると、自分に忠実な者だけを集めて単于頭曼を殺害し、自ら単于の位についた。
単于となった冒頓はさっそく東の大国である東胡に侵攻してその王を殺し、西へ転じて月氏を敗走させ、南の楼煩,白羊河南王を併合した。さらに冒頓は漢楚内戦中の中国へも侵入し、瞬く間に大帝国を築いていった。