テーベ

前870 - 860年頃 ハルスィエセ(Harsiese) ヘジケペルラー・セテプエンアメン

第3中間期

第23王朝(レオントポリス)(リビア朝) 前818 - 793年頃 ペディバステト(Pedibastet) ウセルマアトラー・セテプエンアメン 前793 - 787年頃 シェションク4世(Sheshonk IV) ウセルマアトラー・メリアメン 前787 - 759年頃 オソルコン3世(Osorkon III)…

アルゲアス朝 紀元前約700年〜同310年

アルゲアス朝(ギリシャ語:Ἀργεάδαι、ラテン文字転記:Argeadai)は、古代ギリシアの王朝。紀元前約700年から同310年まで、マケドニアを統治した。古代ギリシアの神話的な記述によると、この王朝の起源は南ギリシャの都市アルゴスに遡る(アルゲアスの名は…

論衡 異虚篇 ―異変や災害にたいする説明の嘘をただすこと―

論衡 異虚篇 ―異変や災害にたいする説明の嘘をただすこと―魯の昭公(前八世紀)のとき、櫂鵠(ははつちょう)が飛んできて巣を作った。ところで『春秋左氏伝』(昭公元年の条)に、「国が滅びそうになっても、五回まで実らぬということは少ない」とある。

ウジヤ(前783-前742)

ウジヤは、ユダ王国の第10代の王である。名はヘブライ語で「主は私の力」の意味である。アザルヤとも呼ばれる。16歳で王となり、52年間統治した。マナセに次いで2番目に長い統治である。ウジヤは父アマツヤと同じように、主の目に適うことを行ったが、高き所…

秦 紀元前778年 - 紀元前206年

秦(拼音:Qín、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦代と呼ぶ。国姓は嬴。統一時の首…

秦伯

襄公(紀元前777年 - 紀元前766年) 文公(紀元前765年 - 紀元前716年) 寧公(紀元前715年 - 紀元前704年) 出子(紀元前703年 - 紀元前698年) 武公(紀元前697年 - 紀元前678年) 徳公(紀元前677年 - 紀元前676年) 宣公(紀元前675年 - 紀元前664年) …

オリュンピア祭

初期の古代オリンピック 古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのと…

周の幽王が殺される

前期・覇者の時代 自らの悪政により、不満を募らせた諸侯に背かれた周の幽王が、前771年に殺されると、翌年に幽王の息子は鄭の武公らの力を借りて洛邑に周を再興する。これが平王であり、以降の周は東周と呼ばれ、これからが春秋時代の始まりである。 周の東…

春秋時代 紀元前770年〜紀元前403年

春秋時代(中国語:春秋时期、拼音:Chūnqiū shíqī)は、中国の時代区分の一つ。紀元前770年、周の幽王が犬戎に殺され洛邑(成周)へ都を移してから、晋が三国(韓、魏、趙)に分裂した紀元前403年までである。 春秋の名称は、四書五経の一つ『春秋』に記述…

王政ローマ

1.ロムルス (Romulus) 紀元前753年 - 紀元前715年 ティトゥス・タティウス(ロムルスと共同統治したサビニ人王) 2.ヌマ・ポンピリウス (Numa Pompilius) 紀元前715年 - 紀元前673年 3.トゥッルス・ホスティリウス(Tullus Hostilius) 紀元前673年 - 紀元前64…

第25王朝(ヌビア朝)

前747 - 716年頃 ピアンキ(Piankhi) メンケペルラー 前716 - 702年頃 シャバカ(Shabaka) ネフェルカラー 前702 - 690年頃 シャバタカ(Shebitku) ジェドカウラー 前690 - 664年頃 タハルカ(Taharqa) ネフェルテムクラー 前664 - 656年頃 タヌトアメン…

第24王朝(サイス朝)

前727 - 720年頃 テフナクト(Tefnakht) シェプセスラー 前720 - 715年頃 バクエンレネフ(Bakenranef) ウアフカラー

ヘロドトス 歴史 巻二 エウテルペの巻

ヘロドトス 歴史 巻二 エウテルペの巻 一三七 アシュキスの次に王位に就いたのはアニュシスの町の出身で、その名も同じくアニュシスという盲目の人物であったという。この王の時代にエチオピア王サバコス(シャバカ)の指揮の下にエチオピア軍が大挙してエジ…

神武天皇 庚午年1月1日 - 神武天皇76年3月11日

日本書紀 巻第二 神代 下 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、その姨の玉依姫を后とされた。そして彦五瀬命を生まれた。次に稲飯命。次に三毛入野命。次に、神日本磐余彦尊。全部で四人の男神を生まれた。久しい後に、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は西洲の宮でおかくれに…

ヘロドトス 歴史 巻二 エウテルペの巻

ヘロドトス 歴史 巻二 エウテルペの巻 一四一 その次に王位に就いたのは、へパイストスの祭司でその名をセトスという者であったという。この王はエジプトの武士階級を無用のものと軽視して冷遇し、彼らの名誉を傷つけるような振舞いが少なくなかったが、中で…

前700-前601

http://d.hatena.ne.jp/MYTH/08000101 日本書紀 古事記 前700 神武・12歳 前699 神武・13歳 前698 神武・14歳 前697 神武・15歳 前696 神武・16歳 前695 神武・17歳 前694 神武・18歳 前693 神武・19歳 前692 神…

神武天皇

日本書紀 巻第三 神日本磐余彦天皇 神武天皇 十五歳で皇太子となられた。成長されて、日向国吾田邑の吾平津媛を娶って妃とされた。手研耳命を生まれた。

論衡 芸増篇 ―儒教の経典にみられる誇張について―

論衡 芸増篇 ―儒教の経典にみられる誇張について― 『春秋』の荘公七年(西紀前六八七年)のところに、「夏四月辛卯の日、夜中に恒星が見えず、星が雨のように落ちる」とある。

テイスペス(紀元前675年〜640年)

テイスペス(紀元前700年頃〜紀元前640年頃)は、アケメネス朝の二代目でペルシア王。初代アケメネスの息子である。推定在位期間は紀元前675年〜640年頃。 半ば伝説的な記録によれば、テイスペスはその領土を二人の息子キュロス1世とアリアラムナ1世に分与し…

神日本磐余彦天皇 神武天皇

日本書紀 巻第三神日本磐余彦天皇 神武天皇 十二月の丙辰朔の壬午(二十七日)に、安芸国に至り埃宮に滞在された。

神日本磐余彦天皇 神武天皇

日本書紀 巻第三神日本磐余彦天皇 神武天皇 十一月の丙戊朔の甲午(九日)に、天皇は筑紫国の岡水門にご到着になった。

〔一〕神武天皇の東征

日本書紀 巻第三神日本磐余彦天皇 神武天皇〔一〕神日本磐余彦天皇は緯(実名)を彦火火出見といい、鸕鷀草葺不合尊の第四子である。母は玉依姫といい、海神豊玉彦の二番目の娘である。天皇は生まれながらにして賢い人で、気性がしっかりしておられた。十五…

神日本磐余彦天皇 神武天皇

日本書紀 巻第三神日本磐余彦天皇 神武天皇 乙卯の年の春三月の甲寅朔の己未(六日)に、吉備国に移り、行宮を造って滞在された。これを高島宮という。その後三年の間に、船舶を用意し武器や食糧を貯蓄して、一気に天下を平定しようと、その機をうかがわれた…

第26王朝(サイス朝)

前664 - 610年 プサムテク1世(Psamtik I) ウアフイブラー 前610 - 595年 ネカウ2世(Necho II) ウアフエムイブラー 前595 - 589年 プサムテク2世(Psamtik II) ネフェルイブラー 前589 - 570年 ウアフイブラー(Wahibre) ハアイブラー 前570 - 526年 イ…

神日本磐余彦天皇 神武天皇

日本書紀 巻第三神日本磐余彦天皇 神武天皇 戊午の年の春二月の丁酉朔の丁未(十一日)に、天皇軍はついに、東をめざして舳艫相次いで出発した。ちょうど難波の碕一まで来ると、甚だしく速い潮流に出合った。そこで名付けて、ここを浪速国二という。また浪花…

長髄彦と金鵄

日本書紀 巻第三 神武天皇 翌年己未の春二月二十日、諸将に命じて士卒をえらび訓練された。 三月七日、令を下していわれた。 この月、役人に命ぜられて都造りに着手された。

長髄彦と金鵄

日本書紀 巻第三 神武天皇 庚申の年秋八月十六日、天皇は正妃を立てようと思われた。 九月二十四日、媛蹈鞴五十鈴媛を召して正妃とされた。

第1代 神武天皇 在位前660年1月1日〜前585年3月11日

日本書紀 巻第三 神武天皇 神日本磐余彦天皇橿原即位 辛酉の年春一月一日、天皇は橿原宮にご即位になった。この年を天皇の元年とする。正妃を尊んで皇后とされた。皇子神八井命、神亭名川耳尊を生まれた。だから古語にも、これを称して次のようにいう。「畝…

橿原即位

日本書紀 巻第三 神武天皇 神日本磐余彦天皇 二年春二月二日、天皇は論功行賞を行われた。道臣命は宅地を賜わり、築坂邑に居らしめられ特に目をかけられた。