天孫邇邇芸命

古事記 上巻
天孫邇邇芸命
〔一〕邇邇芸命の出生と降臨の神勅
〔二〕猿田毘古神の先導
〔三〕天孫の降臨
こうしたことがあって、次に天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命玉祖命、合わせて五つの部曲の族長にそれぞれ職務を分担させて従者に加え、邇邇芸命は天降りなさった。その際にあの天の石屋戸から天照大御神を招き出した八尺の勾玉と鏡、それに草薙剣の三種の神宝、それから常世思金神・手刀男神天石門別神をも邇邇芸命に従わせになって、天照大御神は「この鏡はひたすら私の御魂として、私に謹み仕えるように身心を清めて祭り仕えなさい。そして、思金神は私の祭事を受け持って、祭式上の実務をしなさい」と仰せられた。

 さて、ここに天照大御神と高木神の勅命によって、天津日子番能邇邇芸命高天原の岩の新座を離れ、天空に幾重にもたなびく雲を押し分け、威風堂々と道を押し分け押し分けして、途中、天の浮橋から空に浮いている島に威勢よくお立ちになって、そこから筑紫の日向の高千穂の霊峰に天降りなさった。その時に、天忍日命・天津久米命の二人は頑丈な靭を背負い、頭椎の大刀を腰に下げ、聖なる櫨弓を手に持ち、聖なる真鹿児矢をたばさんで、天孫のお前に立ってご先導申し上げた。ちなみに、その天忍日命は〔これは大伴連らの祖先〕。天津久米命は〔これは久米直らの祖先である〕。

〔四〕天宇受売命と猿田毘古神
〔五〕木花之佐久夜毘売との聖婚

日本書紀 巻第二 神代 下
葦原中国の平定
 天照大神の子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫を娶とられて、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生まれた。皇祖の高皇産霊尊は、特に可愛がられて大事に育てられた。そしてこの孫の瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の君主にしたいと思われた。しかしその国に、蛍火のように輝く神や、蠅のように騒がしい良くない神がいる。また草木もみなよく物をいう。そこで高皇産霊尊は、多くの神々を集められ、尋ねて、「私は葦原中国の良くない者を平定しようと思うが、それには誰を遣わしたらよいだろう。もろもろの神たちよ、包まず何でも言ってくれ」と仰せられた。

 さて、高皇産霊尊は、真床追衾(玉座を覆うフスマ)で、瓊瓊杵尊を包んで降らせられた。皇孫は天の磐座を離れ、天の八重雲を押しひらき、勢いよく道をふみわけて進み、日向の襲の高千穂の峯にお降りになった。皇孫のお進みになる様子は、槵日の二上の天の梯子から、浮島の平な所にお立ちになって、痩せた不毛の地を丘続きに歩かれ、よい国を求めて、吾田国の長屋の笠狭崎にお着きになった。そこに人がいて自ら事勝国勝長狭と名乗った。皇孫が問われ、「国があるのかどうか」といわれると、答えて、「国があります。お気に召しましたらどうぞごゆっくり」という。それで皇孫はそこに止まられた。その国に美人がいた。名を鹿葦津姫という。――またの名を神吾田津姫、また木花開耶姫ともいう――皇孫がこの美人に、あなたは誰の娘ですか」と問われた。すると、「私は天神が、大山祇神を娶とってうまされた子です」と答えた。皇孫はお召しになった。すると一夜だけで妊娠した。皇孫は偽りだろうと思われて、「たとえ天神であっても、どうして一夜の間に孕ませることができようか。お前が孕んだのはわが子ではあるまい」といわれた。すると鹿葦津姫は怒り恨んで、無戸室(出入口のない室)を作って、その中にこもって、誓約のことばを述べ、「私が孕んだ子が、もし天孫の子でないとないならば、きっと焼け滅びるでしょう。もし本当に天孫の子ならば、火も損うことができぬでしょう」といわれ、そして火をつけて室を焼いた。はじめ燃え上がった煙から生まれ出た子を、火闌降尊と名づけた――これが隼人らの始祖である――。次に熱を避けておいでになるときに、生まれ出た子を、彦火火出見尊と名づけた。次に生まれでた子を、火明命と名づけた。――これが尾張連らの始祖である――全部で三人の御子である。しばらくたって瓊瓊杵尊はおかくれになった。それで筑紫の日向の可愛の山の陵に葬った。
  一書(第一)にいう。
そこで天照大神瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲玉及び八咫鏡草薙剣三種の神器を賜わった。

天鈿女がまた問うて「お前はどこへ行こうとするのか。皇孫はどこへおいでになるのか」と。答えていうのに、「天神の御子は、筑紫の日向の高千穂の槵触峯においでになるでしょう。私は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に行くでしょう」と。そして、「私の出所をあらわにしたのはあなただから、あなたは私を送って行って下さい」といった。天鈿女は天に帰って報告した。皇孫はそこで天磐座を離れ、天の八重雲を押しわけて降り、勢いよく道をふみわけて進み天降られた。そして先の約束のように、皇孫を筑紫の日向の高千穂の槵触峯にお届けした。

エジプト原始王朝時代(紀元前4200年-紀元前3150年)

エジプト原始王朝時代(紀元前4200年-紀元前3150年)
エジプト初期王朝時代(紀元前3150年-紀元前2686年)
エジプト古王国(紀元前2986年-紀元前2181年)
エジプト第一中間期(紀元前2181年-紀元前2040年)
エジプト中王国(紀元前2040年-紀元前1663年)
エジプト第二中間期(紀元前1663年-紀元前1570年)
エジプト新王国(紀元前1570年-紀元前1070年)
エジプト第三中間期(紀元前1069年-紀元前525年)
エジプト末期王朝(紀元前525年-紀元前332年)
プトレマイオス朝(紀元前332年-紀元前30年)